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最高裁判所第二小法廷 平成5年(オ)1492号 判決 1998年3月27日

上告人

英訳商号 オリエンタル・ファイアー・アンド・マリーン・インシュアランス・カンパニー・リミテッド

東洋火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

チュウ イン キ

上告人

英訳商号 ダエハン・ファイアー・アンド・マリーン・インシュアランス・カンパニー・リミテッド

大韓火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

キム ソン ドウ

上告人

英訳商号 ラッキー・インシュアランス・カンパニー・リミテッド

ラッキー火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

リー フィー ヨン

上告人

英訳商号 アンクック・ファイアー・アンド・マリーン・インシュアランス・カンパニー・リミテッド

安國火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

ソン キョン シク

右四名訴訟代理人弁護士

高橋正明

西山安彦

奥山量

坂本いずみ

被上告人

関汽外航株式会社

右代表者代表清算人

石崎靖幸

被上告人

エビス・マリナ・エス・アー

右両名訴訟代理人弁護士

戎正

右両名訴訟代理人弁護士

平塚眞

錦徹

津留崎裕

小林深志

山田亨

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人高橋正明、同西山安彦、同奥山量の上告理由第一について

一 いわゆるニューヨーク・プロデュース書式等に基づく定期傭船契約によって傭船されている船舶が運送の目的で航海の用に供されている場合において、右船舶に積載された貨物につき船長より発行された船荷証券については、船舶所有者が船荷証券に表章された運送契約上の請求権についての債務者となり得るのであって、船荷証券を所持する第三者に対して運送契約上の債務を負担する運送人がだれであるかは、船荷証券の記載に基づいてこれを確定することを要するものと解するのが相当である。けだし、(一) 商法七〇四条一項は「船舶ノ賃借人カ商行為ヲ為ス目的ヲ以テ其船舶ヲ航海ノ用ニ供シタルトキハ其利用ニ関スル事項ニ付テハ第三者ニ対シテ船舶所有者ト同一ノ権利義務ヲ有ス」と規定するところ、(二) 船舶賃貸借契約の下では、船舶所有者から船舶の引渡しを受けた賃借人において船舶を艤装し、船長を選任して船員を雇い入れるのであり、船舶賃借人が船長以下の船員を指揮監督することにより当該船舶を全面的に支配し占有するものであるから、賃貸人である船舶所有者が当該船舶に積載された貨物について運送人として運送契約の当事者となる余地はないが、(三) 右のような定期傭船契約の下では、船舶所有者において船舶を艤装し、船長を選任して船員を雇い入れた上で、これを提供するものであるから、定期傭船者がいわゆる商事事項に属する一定の事項について船長に指示命令をする権限を有することはともかく、船舶所有者は、船長以下の船員に対する指揮監督権限を保持することにより依然として当該船舶を支配し占有し続けることができるのであり、(四) 右のような相違を考慮すると、定期傭船者を船舶賃借人と同視し、右のような定期傭船契約がされていることから直ちに、商法七〇四条一項を適用ないし類推適用し、当該船舶に積載された貨物について船長により発行された船荷証券の記載のいかんにかかわらず、常に定期傭船者のみがこれに表章された運送契約上の請求権についての債務者となり、船舶所有者は何らの責めを負わないと解することはできないからである。大審院昭和九年(オ)第二三二〇号同一〇年九月四日判決・民集一四巻一四九五頁は、右と抵触する限度で変更すべきものである。原判決中、右と同旨をいう点は、正当として是認することができる。

二  そして、本件については、所論の点に関する原審の事実認定は原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足りるところ、右事実関係の下においては、本件船荷証券に表章された運送契約上の請求権について被上告人関汽外航が運送人として責めを負うものとは認められないとした原審の判断は、結論において是認することができる。所論引用の当裁判所の判例はいずれも事案を異にし、本件に適切でなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。

同第二について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでその法令違背をいうものであって、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福田博 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一)

上告代理人高橋正明、同西山安彦、同奥山量の上告理由

第一 本件における運送人について

一 序論

(一) 原審判決の論旨

本件は、「ジャスミン号」船主である被上告人エビス・マリナと被上告人関汽外航との間で締結された「定期傭船契約」並びに被上告人関汽外航と訴外ペーター・クレーマー船積代理店を名義上の傭船者として締結された「航海傭船契約」の二つの傭船関係が交錯する中で発行された「船荷証券」に基づく損害賠償請求事件であるが、その第一の争点は、本件船荷証券上の運送人は右の被上告人関汽外航であるのか被上告人エビス・マリナであるのかということである。原審は、「船荷証券上の運送人は、定期傭船契約の法的性質によって定まるのか、船荷証券上の記載及びその解釈によって定まるのか」と争点を総括したうえ、次の諸点を根拠として、本件船荷証券上の運送人は、被上告人関汽外航ではなく、被上告人エビス・マリナである旨断じている。即ち、

1 仮に、定期傭船契約の法的性質を「船舶賃貸借と労務供給契約の混合契約」であると解し商法第七〇四条一項の準用があるとしても本件の結論に差異はない。

報償責任の観点からして、同条が定期傭船者の不法行為責任に適用あるとしても、船荷証券で表章される船荷契約には同条の適用はない。

2 船主は、定期傭船した船舶を目的として更に第三者と運送契約を締結しうる。

3 船長は、選任されることによって、商法第七一三条一項に基づき船主から包括的な代理権を取得し、船主の法定代理人となるものであり、右の場合に船主に代わって船荷証券を発行する権限を有する。

4 外航船舶の船荷証券は、文言証券ではないが、船荷証券で表章される運送人は、原則として船荷証券上の記載及びその解釈によって確定されなければならない。

5 貼付された収入印紙に隠れ外部からこれを視認しえない部分に「船長のために」の記載がある旨認定し、かかる記載及び本件船荷証券裏面に記載された「デマイズ・クローズ」に基づき、本件船荷証券上の運送人が船主である被上告人エビス・マリナである旨「固有的にかつ明確に確定する」ことができる。

6 右の如く、「船長のために」の記載と「ディマイズ・クローズ」により「運送人を固有にかつ明確に特定すること」ができ、これによれば本件船荷証券上の運送人は被上告人エビス・マリナと特定しうるものであり、我が国国際海上物品運送法第七条一項六号によれば、船荷証券の必要的記載事項として「運送人の氏名又は商号」の記載が要求されており、他方、本件船荷証券右上には「関汽外航」の表示があるにも拘らず、かかる記載は運送人を表示する記載とは認められない。

(二) 定期傭船契約に基づき運航されていた船舶を目的とする運送につき発行された船荷証券に関する昭和一〇年九月四日大審院判決(民集一四巻一四九五頁)

右に掲記した原審判決の論旨が我が国の確立した判例に反し、いかに誤謬に満ちたものであるかは、昭和一〇年九月四日の大審院判決を一読すれば明らかである。

同判決の事案は、船主YよりAに定期傭船された船舶を更に転貸を受けたBが木材業者Xと木材の運送契約を締結し、船荷証券は、船長の依頼を受けた合資会社浜商会業務執行社員三木常吉により単に「第十三共同丸船長代理人として合資会社浜商会業務執行社員三木常吉の署名捺印」をして発行された、というものである。後日、Xが右船荷証券に基づき船主Yに対し損害賠償の請求をなしたのに対し、原審は、Y―A間の定期傭船契約は「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」であるとともにA―B間の傭船契約は右の性質を有する転貸借契約であり、従って、Bが運送人として責を負うべきであるとしてYに対する請求を棄却した。これに対し、Xは、右傭船契約の存在はXに於て知りえないから、Xの請求は船荷証券の記載に基づき判断されるべきであり、

「(船荷証券には)単に第十三共同丸船長代理人として合資会社浜商会業務執行社員三木常吉の署名捺印があるに止まり、Bのために発行せられたる趣旨の記載なく且つその表面及び裏面の条項中運送人を表示するに『本船』なる文言を使用せざるものなれば該証券は船長のために発行せるもの」

である旨主張し、

「定期傭船契約が賃貸借契約たる性質を有する場合に於ても右は純然たる賃貸借契約にあらずして船長その他船主の被傭者たる船員の労務供給の契約を包含する特殊の賃貸借契約なり従って船長は定期傭船者の代理人たると同時に船主の被備者たる船長として船主を代理する資格を有し、純粋の船舶賃貸借の如く船長は賃借人の代理としてのみ行動し船主の代理人として行動する余地なきものと言う可からず従って船長は傭船者が運送を引き受けたる貨物を受領したる場合に於て特に船主に代り該運送義務の履行を引受くることは事実上何等不能にあらず」

と主張して上告したのに対し、大審院は次の如く述べてXの主張を排斥している。

「被上告人Yはその所有に係る第十三共同丸を訴外Aに賃貸し、違法に転貸を受けたるBに於いて該船舶を運送をなす目的を以て航海の用に供し上告人Xより本件木材の運送を引受け、船長Cはその権限に基づき荷送人たる上告人に対し本件船荷証券を作成交付したりと言うに在るを以て前示船荷証券に基づく貨物引渡に関して船舶転借人にして貨物の運送人たるBに於いてのみその責を負うべく船舶所有者に於いてその責に任ずべき理由なきこと明白なり。」

右大審院判決は、定期傭船契約を「船舶賃貸借と労務供給契約の混合契約」であるとする大審院昭和三年六月二八日判決(民集七巻五一九頁、甲二〇号証)(以下「大審院昭和三年判決」という)を継承するものであり、従って、これを総合すれば、右大審院判決から以下の諸点が明かとなる。

1 定期傭船契約は、「船舶賃貸借と労務供給契約の混合契約」であり、商法第七〇四条一項が準用される関係に立つものであるから、船主が船舶を定期傭船に出した場合、定期傭船者は「船舶を占有し、自己の計算を以て之を航海に使用するものなれば第三者と運送契約を締結したるときは自ら運送契約より生ずる一切の責任を負担すべきもの」(大審院昭和三年判決)であり、船主はもはや運送行為の主体たりえない。

2 「船長Cはその権限に基づき荷送人たる上告人に対し本件船荷証券を作成し交付したりと言うに在る」と説示したうえで船主Yの責任を否定した趣旨は、定期傭船契約には商法第七〇四条一項が準用される結果、定期傭船者は、第三者との関係に於いて船主と同一の立場に立つものであり、従って船長は、定期傭船者の代理人となるものであり、その発行した船荷証券は、その権限に基づき船長が定期傭船者の代理として発行したものと認められる。

3 船荷証券上の「船長のために」の記載を以てかかる記載のある船荷証券が船主のために発行されたものであると断定することは出来ない。

右大審院判決をもとに、(一)に於いて要約した原審判旨を見れば2、3及び4は明らかに右大審院判決の論旨に反するものである。

5及び6の諸点が法令違反になることについては後述する。

(三) 準拠法の問題

次に、上告人らの本件船荷証券に基づく損害賠償請求が、何法に基づき判断されるべきかの問題がある。

本件船荷証券は「日本法」を準拠法として発行されたものである。従って、本件船荷証券に基づく上告人らの損害賠償請求は「日本法」に従って判断されなければならない。

しかるに、原審の法適用は区々として全く一貫性を欠くものである。即ち、

1 英米法下の定期傭船契約を著述した乙第二九号証を根拠として、「船主は、傭船者やその代理人に対して自らに代わって船荷証券に表章される契約を締結する権限を与えたものと解される」と認定した点は、あたかも本件定期傭船契約の性質につき英米法を適用して解釈している様であるのに反し、

2 「そして、船長の代理権の範囲は法定されている(商法第七一三条)」と認定している点は、あたかも日本法を前提として船長の法定代理権を認定したもののごとくである。

しかし、右に述べたごとく、本件船荷証券は日本法に準拠して発行されたものであるから、本件船荷証券に表章される運送契約に基づく上告人らの損害賠償請求は日本法に基づき判断されるべきであり、この事は本件に於ける定期傭船契約の性質論にも及ぶものである。即ち、仮に荷主の全く関知しない定期傭船契約の準拠法の如何によって、日本法に基づき発行された本件船荷証券上の荷主の権利が区々とすることになれば、船荷証券上に於て日本法を準拠法として指定した趣旨は全く没却される事になるからである。

この点ニューヨーク・プロデュース・ホームを使用して作成された定期傭船契約につき、同ホームの各条項を判断して「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」であると判定した高松高裁判決(昭和六〇年四月三〇日、甲第三〇号証)が参照されるべきである。

更に、船長の法定代理権について言えば、船舶は特異な動産であり、その権利関係は、旗国法である船舶所属国法に準拠して判断されるのが国際的原則であり、同様に船長の法定代理権についても又旗国法に従って判断されるとするのが国際的原則である。従って、

1 船長の代理権の存否及びその範囲については、日本法ではなく本件「ジャスミン号」の旗国法たるパナマ法に基づき認定されるべきであるが、

2 日本法を準拠法とする本件船荷証券につき船長が船主を代理して船荷証券を発行しうるかという代理行為の拒否の問題については同証券の準拠法たる日本法に準拠して認定されるべきものである。

かかる視点よりすれば、本件定期傭船契約については、商法第七〇四条一項が準用される関係になり、仮にパナマ国法に商法第七一三条一項と同様の規定があったとしても、我が国の判例に従えば、かかる代理関係は定期傭船者と船長との間に成り立つ関係であり、本件船荷証券につき船長が船主を代理して発行しえたものとする立論は成り立ちえないものという事になる。

(四) 便宜置籍船の船主について

本件第一審判決は、被上告人エビス・マリナが本件船荷証券上の運送人であると認定した実質的根拠として、

「定期傭船契約でこれらの商事事項の一部(船積み、積付、荷渡し)を傭船者の側で行なうことが合意されている場合にはともかくとして、そうでない場合は、貨物の船積み、積み付け、保管、荷揚げ等の業務の中で専門的な知識経験を要する分野について、定期傭船者自身が船長以下の船員に対して指示するのは、それらの行為の商事的側面であって、それらの行為の専門技術的な側面について、定期傭船者が指揮監督できる能力を有しないのが通常であり、その様な能力を要求されていない」

との理由を挙示している。

本件控訴審は、右引用の判示部分を含め、第一審判決の理由を六頁にもわたって削除したうえ、右引用部分にかえて、

「岡本が義務上の指示を受けたり連絡したりする先は、愛媛県にある同被控訴人の日本における事実上の営業所であった」

と認定して、恰も、被上告人エビス・マリナの事実上の営業所が日本に存在し実質的な意味で海上企業主体として活動し、同被上告人が岡本船員に対し業務上の指示を与えていたものであるかの如き認定を行なっている。

右削除が何故行なわれたものであるかは、原審が削除の理由を明示していないので明らかではないが、被上告人エビス・マリナが日本に於ける事実上の営業所を通じて岡本船員に業務上の指示を与えていたとの認定は、同被上告人が実質的に「ジャスミン号」の運航管理を行なっていたものである事を認めようとするものであり、原審の認定は単に言葉を置きかえたものに過ぎない。かかる原審の認定が、便宜置籍船主を理解しない誤謬に満ちたものである事は左記の点から明らかである。

本件の「ジャスミン号」は、パナマに登録された所謂「便宜置籍船」であった。「便宜置籍船」とは、船舶を実質的に所有する或る国の国民又は法人がかかる船舶の登録を自国にしないでパナマ、リベリア等に法形式上必要な所謂ペーパーカンパニーを設立し、かかるペーパーカンパニーの所有船として船籍登録した船舶をいう。

これらの便宜置籍船の受け入れ国は一般に産業等の乏しい発展途上国であり、その目的とするところは、実質上の船主に多くの便宜を提供して自国に於ける船舶の登録を勧誘し、船舶登録料等を国家収入の柱としようとするところにある。

便宜置籍船が現在の様にもてはやされる理由は、まず、形式上船主となるペーパーカンパニーの設立が極めて小額の費用、簡便な手続により行ないうるものであるとともに、ペーパーカンパニーの負担する費用が船舶の登録料及び小額の年賦課金に限定され、登録船舶の運航収益については非課税とされている事に加え、原審に於いて詳述したごとく「船員費の節減」を計りうる事にある。

我が国においては、一九七三年の円為替相場のフロート制移行後の相次ぐ円相場の上昇及びインフレ等による賃金の上昇に基因する国際競争力の低下に併ない、運航費の節減のため便宜置籍船が急増し今日に至っている。

便宜置籍船の運航の実体として、(イ)我が国の既存船会社が、日本船籍の所有船舶をパナマ、リベリア等の便宜置籍国のペーパーカンパニーに一旦売却し、発展途上国の低賃金の船員を配乗した後、同船会社がペーパーカンパニーから定期傭船等をする形でチャーター・バックして運航する所謂チャーター・バック船形式のものと、(ロ)右の場合の船会社と異なり、船舶の運航の実績及び必要な人的・物的組織をもたない所謂一杯船主と称する船舶の実質的所有者が、便宜置籍国にペーパーカンパニーを設立して船舶を登録し、これを船舶の運航実績を有する船会社に定期傭船に出す場合の二つの形態がある。後者の場合、実質的所有者は便宜置籍国に登録した船舶を所有するのみで、海上運送企業としての実体はなく、船員配乗等の実務はマニング会社等に委託して行なわせるとともに、海上運送企業としての実務は全て定期傭船者たる船会社が行なうものであり、実質上の船主は、傭船料、即ち、石井照久教授の言われる「資本利子的な確定した対価」を取得するに過ぎない。

右両場合に於て、実質的な意味で船舶の運航の任にあたり、海上運送企業として企業損益の帰属者となるのは、便宜置籍船を定期傭船する船会社である事は明らかである。

本件被上告人エビス・マリナが後者の意味での便宜置籍船主であり、「ジャスミン号」の運航につき実質的になんら関与していなかったものである事は、原審が引用する本船の船長であった岡本証人の証言からも明らかである。即ち、同船長の証言によると、

「これは日本に、代行と申しますか、まあパナマの船籍しておっても、実際のオーナーは日本人という形になっておりますので、詳しいことは私は分かりませんが。私はあくまでもパナマということで、ただ連絡はここへして下さいと。それはエビスということです。(どこにあるんですか。)松山だと思いました。(代表者の名前は?)代表者というのは分かりませんが、いろいろ会社を持っておられますので、よく内容は分かりませんが、一応事務連絡は、責任者はエビス マサシさんという方です。」(調書第二二八頁乃至第二三二頁)

仮に岡本船長が本船の運航について、エビス マサシ氏から業務上の指示を受けたり、同船長から同氏に対し業務上の連絡を現に行なっていたものとすれば、本船の運航につき責任を有する船長としては、明確に連絡先を知っていた筈であり「松山だと思います」と言った漠然とした回答になりえない筈である。

五の1「船長の代理行為」に於て詳述する通り、本船の運航につき業務上の指示を岡本船長に与えていたのは、本船の定期傭船者であった被上告人関汽外航であり、又同船長が連絡していた先は同被上告人である。

この事は、第一審及び原審が本件に於けるほとんど全ての重要な事実認定の根拠として引用している乙第一三号証からも明らかである。即ち、乙第一三号証は、ディマイズ・クローズに関する解説に際して「一方、定期傭船者は、定期傭船契約の取決めに従って、その期間、船を占有し、自己の意図する運送業務を船長に行なわしめるが、このDemise Clauseで、その運送業務の責任者は船長の雇主である裸傭船者か、船舶所有者ということが明示される」と述べている。

従って、単なるペーパーカンパニーに過ぎない、被上告人エビス・マリナが本船の運航につき実質的に関与していたという原審の認定は、証拠に反する違法な認定であるものと断ぜるをえない。

更に、第一審判決は、

「船主に、船体及びその属具という海産が存在し、これは、船主の船荷証券上の運送人としての責任の引当てになる。しかし、船体及びその属具は、定期傭船者が占有し、所有する物ではないから、定期傭船者が運送人としての責任を負う場合でも、これらの海産がその責任の引き当てになるものではないし、船舶先取特権のように船舶自体がいわゆる物的責任として、運送人の負うべき責任を負うものでもない。従って、定期傭船者を船荷証券上の運送人とする場合に比較して、船主を船荷証券上の運送人とすることの方が、債務者の保護に欠けることになるとはいえない(定期傭船者を運送人とすると、運送人になんらの資産がない場合にも船舶を差し押さえて債権の回収を図ることができず、かえって債務者に不利となる。)」

と述べて、船主を運送人とすることにより、荷主が特に不利益となる事はない旨説示している。

原審は、この部分についても何等理由を明示する事なく削除し、原審の行なった利益衡量については全く黙止している。しかし、右の利益衡量は、ディマイズ・クローズの有効性を認める前提として行なわれものであるから、一方でかかる利益衡量を誤りとして削除しつつ、削除部分を根拠とする結論を理由も付さずに維持するのは、理由不備の違法ありと言うべきである。従って、ディマイズ・クローズの有効・無効の判断にあたって、左記の点が考慮されるべきである。まず、定期傭船者を運送人とした場合に船体及びその属具という海産が定期傭船者の責任の引当になるものではないという見解は、我が国海商法のイロハを誤解して議論の出発点を誤った独断であり、船主を運送人としようが定期傭船者を運送人としようが、運送の用に供された船舶の船体及びその属具は物的責任を負担するものであることは、原審に於て詳述したところであり、この点本件第一審は重大な法の誤解に基づいて本件の判断を行なったものである。

問題は、物的責任の負担にあるのではなく、人的責任を誰が負担するかという事である。この点に関する考察を欠いては、本件につき公平な判断を下すことは不可能と言うべきである。

即ち、本件に於いて被上告人エビス・マリナが運送人であるとした場合、上告人らの請求の相手方となるのは同被上告人に限定されることになる。

本件船荷証券裏面約款第二条は、本件船荷証券に基づく争いについては東京地方裁判所を管轄裁判所として指定している。しかし、同被上告人はパナマに設立された単なるペーパーカンパニーであり、本件の記録が示す通り、第三者たる荷主等にとってパナマにおける同被上告人の住所を特定する事すら不可能的に困難な事であり、公示送達の方法しかとりえなかった。被上告人関汽外航を共同被告としたことから、被上告人エビス・マリナの送達場所が指定された次第である。仮に、被上告人エビス・マリナのみを単独で訴えたとした場合に、同被上告人が応訴してきたとは到底考えられない事件であり、公示送達による欠席判決を取得したからとて、ペーパーカンパニーに過ぎない同被上告人に上告人らの請求の引当となる様な一般的資産があるとは到底想像しえないし、仮に存在したとしても、どこにどの様な形で存在するかを調査するのは不可能と言うべきことである。

従って、ペーパーカンパニーを相手とした場合、上告人らの請求の唯一の担保は「ジャスミン号」とならざるをえない。しかし、船舶を対象として権利行使する事は極めて困難であるとともに実効性があるか否かも又大きな疑問となる。

即ち、被上告人エビス・マリナは、第一審に於ける本訴提起の一年後である一九八九年頃には既に「ジャスミン号」を売却しており、上告人らは、本件上告に際して始めて知り驚いた事であるが、被上告人エビス・マリナは、第一審判決のなされる三ヵ月前には既に解散の登記をして消滅していたものである。従って、本件を見れば明らかな様にペーパーカンパニーを相手として、時間と労力をかけて権利行使をしたとしても一片の保護も与えられないことになる事は明白である。

この点に関する被上告人らの主張は、船主は荷主に生じた貨物損害につき保険をかけているものであり、通常保険会社が保証状を発行するものであるから荷主の権利行使につきとくに不都合はない旨主張している様である。

保険会社の発行する保証状とは、荷主の船主に対する貨物損害に基づく損害賠償請求につき、荷主・船主間に争いのある場合に保険会社が船主の損害金支払義務の履行を荷主に対して保証し発行するものである。かかる保証状は、保証金額の上限を区切って行なわれ、後日荷主・船主間の話し合いにより損害額が合意された場合は合意された損害額、合意出来ない場合は裁判で確定した金額を保証状で約束された範囲で支払うものである。

しかし、保険会社はかかる保証状を荷主に対し自動的に発行するものではない。荷主が損害賠償請求権に基づいて現に船舶を差し押さえるか又は荷主が船舶を差し押さえる危険が十分にある場合に船主の要請に基づき保険会社が発行するものである。

ところで、船舶を差し押さえる場合、差押実行後の係船費用等莫大な費用が必要であるが、取り敢えずこれらの費用を荷主が負担しなければ差し押さえは不可能であり、最終的に和解する場合和解の通常の例として往々にして荷主負担となる危険があるとともに、裁判となった場合でも諸費用のうちどの範囲まで船主から回収できるものであるか不明である事が多く(特に弁護士費用については一般に相手方から回収出来ないものと考えられている)、莫大な損害賠償請求権を有する荷主であればともかく、一般の荷主が船舶の差押等を行なう事は容易な事ではない。

従って、多くの荷主にとって保証状を取得する様な事は不可能とも言えることである。

従って、ペーパーカンパニーである被上告人エビス・マリナを運送人とした場合に荷主に与えられる保護は極めて限られたものであり、船舶が物的担保となりうるなどと言った議論は単なる法律論に過ぎない事は明らかである。

他方、本件被上告人関汽外航の如く、定期傭船者は海運企業主体としての人的・物的組織を有し、海運企業を営むものであるから、荷主は安んじて、その損害の支払を受けるものと言える。

この点を更に、便宜置籍船の運航実体より見るとチャーターバック形態の場合が典型的に示す様に、定期傭船者こそが、運送人としての海上企業主体であり、ディマイズ・クローズによって、ペーパーカンパニーたる形式上の便宜置籍船主を運送人とすることは、脱法行為を是認すると同義であることは明らかな筈である。

本件に於ては驚くべき事に、被上告人関汽外航も上告人らに一片の通知を出す事なく清算を開始し、平成三年一二月には清算事務結了の登記を行なっている。被上告人らはこの点を挙げて被上告人エビス・マリナを被告とした場合と何等相違なき旨主張するかも知れないが、しかし、かかる場合に於ても上告人らには、法的保護がありうる事は他言を要しないところである。

右に於て、序論として原審判決の問題点を概括したものであるが、以下原審判決の問題点を詳論する。

二 判例違背

(一) 定期傭船契約の法的性質

1 定期傭船契約は「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」である。

既に言及した如く、原審判決が本件に於ける定期傭船契約の性質を論ずる事なく、定期傭船契約を「船舶賃貸借と労務契約の混合契約」と解したとしても、船主は更に荷主と傭船契約を締結しうるものであると認定した点及びかかる傭船契約に基づき発行された船荷証券には商法七〇四条一項の適用がないと認定した点は、判例違背、理由不備、理由齟齬の違法があり破棄を免れない。

定期傭船契約が「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」である事は大審院昭和三年判決以来確立した判例であり、最高裁判所に於ても、機船第一栄勢丸損害賠償請求事件(昭和六二年(オ)第一〇四七号、平成二年二月一三日判決、甲第八〇号証の一)及び最高裁判所平成四年四月六日判決(昭和六三(オ)一七三七号、甲第八四号証)の両判決により確認されている。(右に掲記の判例の外同旨の判例については、原審に於ける上告人らの準備書面(二)記載の判例を引用する。)

大審院昭和三年判決は、「船舶所有者が船長其の他の船員を選任し又は雇入れて之を艤装したる船舶に付して賃借人に引渡し賃借人に於て右船員を使役して該船舶を航海に使用する場合即ち傭船契約の名義を以て賃貸借と労務供給契約との混同契約を労務供給契約との混同契約を為すことあり此等の純然たる賃貸借又は混同契約の場合に於ては其の船舶を使用する所謂傭船者は船舶を占有し自己の計算を以て之を航海に使用するものなれば第三者と運送契約を締結したるときは自ら運送契約より生ずる一切の責任を負担すべきものにして船舶所有者に於て之を負担すべきものに非ず」と判示している。

第一栄勢丸事件は、内航船舶である「栄勢丸」の運航中の船長及び機関長の死亡事故に関するものであるが、事案の概要は、「栄勢丸」の船主であった機関長が前航貨物であった苛性ソーダを荷揚後船艙タンク内を海水で清掃しようとして船艙タンク内に降りたところ、タンク内に充満していた窒素ガスにより窒息死し同機関長を助けようとした同船船長も同じく窒息死したというものである。

「栄勢丸」は、同船の船主であった機関長を委託者とし、上告人大豊海運株式会社を受託者として締結された日本海運集会所作成の「内航運航委託契約」及び同様に両者間で締結された「内航定期傭船契約」のもとに運航されていたものである。

右船長の遺族が、「定期傭船契約は、労務供給契約を伴う船舶の賃貸借であり、船員と船舶とが有機的な一体をなしているいわば『動いている企業』をそのままの形で賃貸せんとするものである。従って、傭船者は、船主の船舶を使用して自ら運送業を営み、右船舶の船員を使用する権利を有するものであって、船員を使用する関係においては企業主(雇傭者)と同様の権利義務を有する」旨主張し、上告人大豊海運が安全配慮義務を欠いた点を根拠に損害賠償を求め、第一審、第二審ともこれを肯定して上告人大豊海運の損害賠償義務を認めたので、上告人大豊海運はこれを争って上告したものであるが、最高裁判所は、「本件船舶の運航委託契約の受託者である上告人は、本件船舶を自己の業務の中に一体的に従属させ、本件事故の被害者である本件船舶の船長に対しその指揮監督権を行使する立場にあり、右船長から実質的に労務の供給を受ける関係にあったのであり、このような確定事実の下においては、上告人は、信義則上、本件船舶の船長に対し安全配慮義務を負う」と説示して原審判決を肯定している。

右最高裁判決が、定期傭船契約を「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」であるとする大審院以来の判例を踏襲する事を確認したものであることは、原審が、上告人の責任を肯定するにあたって述べた左記の理由からも明らかである(甲第八〇号証の二)。

(1) 「本件当事者間を規律する法律上の形式は、本件運航委託契約であって、同契約自体は、船主たる柏原がその所有船の運送契約締結義務を運航業者である控訴人に委託し、右締結された運送につき船主は自分の船員を乗せたその所有船をもって直接荷主の運送に従事するに過ぎないものであり、右契約上の拘束といったもののほか、外形上は控訴人と船主、船長の間に格別の支配従属関係といったものはないようにみられる」のであるが、

(2)  「本件当事者間においては右運航委託契約のほかに、対行政用のものとはいえ、併せて内航定期傭船契約書も作成されていた」のであって、

(3) 「船主柏原が実際の契約関係として右運航委託契約を選んだのは、専らその運賃収入の多募にあったに過ぎないものと見られ、」

(4) 「本船は、……本件事故当時まで約一一年もの間歴代の船主により前同形式の2通の契約書が作成され控訴人の下でその運航義務に供されてきたものであり、

(5)  「本船の運航に関する行政監督官庁の船舶及び船員の安全等も含む指導及び指示等も前記内航定期傭船契約の存在を前提に運航業者(傭船者)も含めてなされていたものとみられ、運航業者、船主、船長等もこのような行政上の関係を了知していたものとみられるところであり、」

(6) 「その他前認定の本件運航委託契約における特殊タンク船であることからする強い制約及び同船の枢要部分たる荷役設備の所有関係からする拘束等の諸事情を考慮すると、控訴人は、本船もほぼ自社船同様にその配下の支配船として自己の業務の中に一体的に従属させ、船主たる亡柏原及び船長たる亡山本も、事実上控訴人の指揮監督を受ける関係にあったものとみられ、船員等運航従事者を持たないことを営業方針とする控訴人にとっては、亡柏原及びその履行補助者たる船長山本から、実質的に労務の供給を受ける関係にあったということもできる。」

最高裁平成四年判決は、定期傭船された曳船列の末尾のバージが、岸壁に係留されていた自衛隊の掃海艇に衝突し、これを損傷させたのに対し、掃海艇を所有する国が曳船列二隻の船舶の定期傭船者に対し損害賠償を請求した事案であるが、最高裁判所は次の様に判示して定期傭船者の不法行為責任を肯定している。

「第五神山丸と第三泉丸との間に「定期傭船契約」と題する契約書が取り交わされていたというのであって、……定期傭船者の衝突責任などの権利義務の範囲については、商法を始めとする海商法の分野での成文法には依拠すべき明文の規定がないので、専ら当該契約の約定及び契約関係の実体的側面に即して検討されなければならないところ……各船舶は、専属的に上告人営業の運送に従事し、その煙突には上告人のマークが表示されており、その運航については、上告人が日常的に具体的指示命令を発していたのであって、上告人としては、各船舶を上告人の企業組織の一部として、右契約の期間中日常的に指揮監督しながら継続的かつ排他的、独占的に使用して、上告人の事業に従事させたというのも、また原審の確定した事実関係である。原審はこれらの事実関係の下において、上告人は船舶所有者と同様の企業主体として経済的実体を有していたものであるから、右各船舶の航行の過失によって被上告人所有の掃海艇に与えた損害について、商法第七〇四条一項の類推適用により、同法第六九〇条による船舶所有者と同一の損害賠償義務を負担すべきであるとしたが、この判断は正当として是認しうる」

従って、原審判決前になされた右最高裁の二判決はいずれも大審院昭和三年判決以来確定している、定期傭船契約=「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」という立場を踏襲する事を宣明したものと言える。

そこで、問題は本件の定期傭船契約が「船舶賃貸借契約と労務供給契約」の混合契約たるの実態を備えているかである。

大審院昭和六年八月七日判決は、右大審院昭和三年判決を受けて具体的に定期傭船契約条項を掲記して、問題となった定期傭船契約が「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合同契約」であると認定している。掲記された条項は左記の通りである。即ち、大審院は、

(1) 七ヵ月間上告人が海上運送に利用する為船体特に船艙其の他貨物を積載し得べき全区域積荷及び旅客に関する諸設備を其の任意使用に委ね(第一条、第一三条)、

(2) 船舶所有者は該汽船に船長其の他の船員を完備し船体及機関の完全なる堪航能力を持続せしめ船体及貯蔵品に対する保険料船長其の他船員の食糧供給其の雇入解雇の場合に於ける官庁の手数料を負担するも(第一条、第四条)、

(3) 石炭燃料罐水港湾費噸税燈台料埠頭料水先案内料運河通航料船渠使用料其の他諸税及諸掛荷物の積込陸揚検量其の他運送品旅客に関する諸費用の如き航海及運送に関する費用は傭船者これを負担し(第六条)、

(4) 船長は最善の知識と技能とを以て傭船者の指示に従い迅速に航海を為し船員と共に其の通常為すべき凡ての助力を為すべく又船長は汽船の使用代理事務其の他の処理に関しては傭船者の命令及び指揮に服従すべく若し傭船者が船長又は船員の行為に付不満足を唱え其の交代を要求したるときは船舶所有者は事情を調査して之を至当と認むるときは該船員の交代任免を為すべく(第一六条、第一九条、第二〇条)、

(5) 又右汽船には碇泊中傭船者の提供したる私標又は店旗を主檣に掲ぐべき旨(第三八条)、

約定されている旨認定し、

船主は、「船長其の他の船員を任免し之をして右汽船を操縦せしめ其の航海に関する事項を司掌するも是れ上告人をして任意に右汽船を使用し完全に航海を為さしむべき契約上の義務あるが為に外ならず、上告人は右汽船の引渡を受け之を使用して自ら運送事業を経営するものにして本件傭船契約の本質が商法所定の傭船契約に非ずして船舶の使用を目的とする賃貸借と船舶の使用に付船長其の他の船員の労務供給契約との混合契約である」ものと認定している。

又本件と同じくニューヨーク・プロデュース・ホームを使用して作成された定期傭船契約が問題となった高松高裁昭和六〇年二月一六日決定(甲第三〇号証)は、同契約の左記条項を認定し、同ホームに基づく定期傭船契約を「船舶賃貸借契約及び労務供給契約の混合契約」であると認定している。

(1) 船主は航海中船体、機関及び装備を完全な稼働状態に置き本船の船艙、甲板その他通常の積荷場所の全容積はすべて傭船者の使用に委ね(一条、七条)、

(2) 乗組員を手配してその一切の食料品、給料等を支払う(一条)

(3) 船長は本船の使用業務に関しては傭船者の命令指示に従わなければならない(八条)、

(4) 傭船者に船長、機関士等の行為を不満足とする相当な理由がある場合船長がその苦情の詳細を受取り次第その事実を調べ要すれば配乗を変更をする事が出来る(九条)、

(5) 傭船者は傭船料を支払う(四条)、

(6) ほか燃料費、水先料等一切の通常費用を支払う(二条)、

(7) 傭船者はその費用を負担して本船の帰還まで、自らの船旗を掲げ自らのマークを付する権利がある(三三条)

右認定の各条項を根拠として、高松高裁は「船主である抗告人が船長その他の船員を任免して本船を操縦航海せしめるものであるが、同時に傭船者である東京海事に対し本船を使用し完全に航海をなさしめる契約上の義務を負担し、傭船者である東京海事は本船の引渡を受けてこれを使用し、自ら海上における企業主体として運送業務を行なうものであることが認められるので本件定期傭船契約は我が国法上の船舶賃貸借と労務供給契約の混合契約であると解するのが相当である」と説示している。

上告人らの控訴審準備書面(七)二一頁以降に於いて述べた如く、本件定期傭船契約は、右高松高裁の認定根拠となった各条文と同一の条文を有するものである。即ち、

(1) 船主は、乗組員の一切の食料品・給料・積地および揚地における領事館費を準備して、その費用を支払い、船舶保険料ならびに船室・甲板・機関室その他に必要なすべてのストアー(灌漑水を含む)の費用を支払うほか、本船の船級を維持し、航海中、船体・機関および装備を完全な稼働状態に置くものとする(一条)。

(2) 本船の区割は、本船の士官・乗組員、揚貨機、装具、備品、食料品、ストアーおよび燃料のための相当かつ充分な船腹を除き、本船の船艙・甲板・その他通常の積付場所の全容積(本船が担当な積付および運送をなしうる限度を超えない)、および上乗人が同乗する場合、その居住区を含めて、全て傭船者の使用に委ねなければならない(七条)。

(3) 船長はその航海を極力迅速に遂行し、本船の乗組員および端艇をもって、慣習上なすべき一切の助力を提供するものとする。船長は(船主により任命されたことにかかわりなく)本船の使用及び代理業務に関しては、傭船者の命令・指示に従わなければならない。

(4) 傭船者、船長・士官、又は機関士の行為を不満とする相当な理由がある場合、船主はその苦情の詳細を受取次第、その事実を取調べ、要すれば配乗を変更するものとする(九条)。

(5) 傭船者は、本船の使用ならびに用役に対し、一暦月間につき、日本円で……料率により、上記引渡の日時から支払うものとする(四条)。

(6) 傭船者は、傭船期間中のすべての燃料費・港費・水先料・代理店料・仲介手数料・領事館費(乗組員に関するものを除く)、その他一切の通常費用(前記のものを除く)を手配し支払うものとする(二条)。

(7) 傭船者は、自社社旗を掲揚し、煙突に自社マークを付することが出来る(四三条)。

従って、本件定期傭船契約は、確立した判例に従い「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」と解釈されるべきであり、かかる確立した判例に反する原審判決はこの点に於て破棄されるべきものである。

2 原審の二重契約論の誤謬

原審判決は、定期傭船契約の性質を「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」であると解したとしても、定期傭船契約も荷主運送人間の傭船契約もともに債権契約であるから本件の結論に差異はない旨論断しているが、これは確立した判例の趣旨を全く誤解しているものと言う外なく、この点に於ても判例違背を構成するものとして破棄を免れないものと言うべきである。

即ち、定期傭船契約を「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」であるとする判例の趣旨は、定期傭船契約に於ては、「船舶を使用する傭船者は船舶を占有し自己の計算を以て之を航海に使用する」ものであるから、定期傭船契約に基づく船主と傭船者の権利・義務関係は、商法第七〇四条一項を準用して規律すべきであるとする点にある。ところで同条は、船舶賃貸借に関する規定であり、同条一項の適用のある傭船契約(一般に「裸傭船契約」と称される)の場合、賃借人たる裸傭船者は賃借した船舶に自己の選任した船長及び船員を配乗して、あたかも自己の船舶の如く運送の用に供するものであり、船舶の占有は、船舶賃借人たる裸傭船者に移転するとともに、その利用権は船舶所有者たる船主を排して裸傭船者に専属するものになる。即ち、同条第一項は「船舶賃借人が商行為を為す目的を以て其船舶を航海の用に供したるときは其利用に関する事項に付いては第三者に対して船舶所有者と同一の権利義務を有す」と規定している。従って、船主は裸傭船した船舶を対象として商行為を行う事は出来ない。判例も、この点、海商法上の「船舶所有者」とは、船舶を所有し、かつ海上運送企業を行なう者を意味し、単に、船舶の所有権だけを有するだけの者は特別の場合(例えば、共同海損、海難救助、七〇四条二項の船舶先取特権等)を除いては海商法上の「船舶所有者」とは言えないものとしている(大判明治三六・三・三一民録九輯三六八)。

原審判決は、定期傭船契約も航海傭船契約も債権契約であることを論拠として、「船主甲が乙と定期傭船契約を締結しながら、荷主丙と傭船契約(通常航海傭船契約であろう。)を締結することも適法に行なうことができる」旨断じ、同一の船舶を目的として二重契約が成立するのも当然の事理のごとく述べている。しかし、定期傭船契約は「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」であり、商法第七〇四条一項の準用があるのであるから、船舶賃貸借と同様定期傭船者が、船舶の占有及び利用権を取得し、商法上の船主となるものであり、船舶所有者は同一船舶を対象として商行為を行なう事は出来ない。

仮に原審のような認定が可能とした場合、航海傭船契約とは「船舶の全部又は一部を以て運送契約の目的と為したるとき……」(商法第七三七条)を指すものとされているのであるから、船主が締結した航海傭船契約に基づき船腹は傭船者の貨物の運送の用に供されることになり、従って、船主が他方で締結した定期傭船契約と相互に矛盾し、一方を履行すれば他方が不履行となる関係となる。

尚、この点に関連して、原審判決は、船主と運送人間に定期傭船契約がある場合に運送人は自ら荷主と再傭船契約を締結しうる旨述べている。

右に述べた通り、定期傭船者は、「船舶を占有し自己の計算を以て之を航海の用に供する」ものであるから、定期傭船者が荷主と再傭船契約乃至運送契約を締結しうることは勿論であるが、このことは一旦船舶の利用権を定期傭船者に移譲した船主が同船舶を更に第三者に傭船しうるとする事の根拠に全くならない。この点理由不備の違法ありと言うべきである。

いずれにしても、船舶を所有するに過ぎない船主は、もはや運送契約という商行為を行なう商法上の船主たりえないものであることは右判例からも明らかであるから、定期傭船された船舶を目的として船舶所有者が更に航海傭船契約を締結する事ができるとする事は背理であり、商法を無視した暴論である。因みに、世界のいずれの国の海運界に於ても、船主が裸傭船契約又は定期傭船契約を締結し同時に同一船舶を目的として航海傭船契約を重畳的に締結するといった実例は存在しない。原審の判断は、正に法常識及び世界の海運界の実務常識から全く遊離した独断と言う外ない。

3 原審の報償責任論の誤謬

原審判決は、「定期傭船者の船舶衝突事故等における第三者に対する責任等につき、報償責任の観点から、商法第七〇四条一項が適用されることがあるとしても、船荷証券で表章される運送人の運送契約上の債務不履行責任についてはこれを適用又は準用すべき基盤そのものがない」と断じている。かかる認定も又判例違背を構成するものであり、加うるに、理由不備の違法があり、破棄を免れえない。

(イ) 報償責任主義とは、一般に「利益のあるところに損失もまた帰せしむべし」という考え方であると説明されている。

ところで、海上企業者たる海上運送人の企業利益とは、海上運送契約に基づく運賃収入である。今仮に、原審判決が断ずる様に、定期傭船契約の存在にも拘らず船主も又等しく運送契約を締結することが出来、運賃収入を得ることが出来るものであるとすれば、報償責任論をもって定期傭船者の不法行為責任の根拠とする事は背理でしかあり得ない。

報償責任論をもって定期傭船者の、船舶衝突等の不法行為責任を基礎づけるとするなら判例の言う様に定期傭船者は「船舶を占有し、自己の計算を以て之を航海に使用するものなれば第三者と運送契約を締結したるときは自ら運送契約により生ずる一切の責任を負担すべきもの」(大審院昭和三年判決)という点にあり、定期傭船者が海上企業主体として運送契約を締結し同契約から生ずる運賃収入、即ち、利益の帰属点となるという事を前提とするからに外ならない。

従って、原審判決が報償責任論をもって定期傭船者の不法行為責任を基礎づけれるものとしながら、定期傭船者の海上企業主体性を否定するのは、明白な論理矛盾である。

この様な初学者にもわかる単純な事項について重大な誤りを犯した原審判決は判例違背であるとともに、理由不備の違法ありと言うべく破棄を免れえないものである。計らずも、右審判決は、定期傭船契約に於ては、定期傭船者こそが海上企業主体であることを明示したものであると言うべきである。

(ロ) 原審判決は、「船荷証券で表章される運送人の運送契約上の債務不履行責任につき商法第七〇四条一項を適用又は準用すべき基盤そのものがない」と説示するが、これは明らかに問題の所在を見誤ったものと言う外ない。

問題は、船荷証券で表章される運送契約上の運送人は誰かと言う事であり、右所論の前提として原審が「船荷証券は要因証券であるから、一定の原因に基づく事を要し、右の基本的な原因となるものは、荷主(荷送人)と運送人との間に傭船契約が存在する事であるが」(右引用中「傭船契約」とあるのは正しくは「運送契約」とすべき)、と説示している様に、船荷証券は原因たる運送契約を表章する証券であるから、かかる運送契約の運送人は誰かという事であり、これを本件に即して言えば、定期傭船契約下で運航されている船舶を目的として運送契約を締結する運送人は誰かと言う事である。

「二重契約論の誤謬」の項で既述の通り、商法第七〇四条一項の準用により、定期傭船契約下に於て、運送契約という商行為を行ないうるのはひとり定期傭船者のみであり、従って、定期傭船契約に基づいて運航される船舶につき運送契約が締結されたとすれば、それは定期傭船者を運送人として締結されたものと言うべく、かかる運送契約を表章する船荷証券上の運送人が定期傭船者であるべき事は明白であり、序論(ニ)に於て引用の大審院昭和一〇年九月四日判決が説示するところは、正にこの点である。

従って、原審の右所論は明らかに判例違背を構成するものであり破棄を免れえない。

付言すると、原審の論旨は、被上告人と本件荷送人との間に運送契約が締結された事を前提とするものであるが、かかる運送契約の認定はどこにもなされておらず、この点に於ても原審判決は理由不備の違法あり破棄を免れえないものと言うべきである。

(ニ) 「船長のために」の記載

原審は、後述する様に、黒を白と言うが如き暴論のもとに本件船荷証券上に「船長のために」という記載があるものと認定して、本件船荷証券が被上告人船主エビス・マリナの為に発行されたものであると認定している。

しかし、右認定は、序論に於いて既述した通り、大判昭一〇・九・四(民集一四・一四九五)の大審院判決の趣旨に反するものである。

更に、既述の通り、商法第七〇四条一項の準用により、船長は定期傭船者の代理人たるものであり、船主の代理人たりえない。

従って、原審判決の右認定は、判例違背、法令違背を構成する違法なものと言うべく、破棄を免れない。

三 法令違背

第一審判決及び控訴審判決は、船主は定期傭船者と独立して運送契約を締結し得るものであり又かかる運送につき船長をして船荷証券を発行せしめ得るものと断じている。かかる解釈は既述の通り判例違背を構成するものであるとともに、我が国の商法及び国際海上物品運送法の解釈に反するものであり、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背を構成するものとして破棄を免れない。

1 船主の運送契約締結権

原審判決は、船主の運送契約締結の根拠として乙二九号証として提出された「定期傭船契約」を挙示し「船主は、傭船者やその代理人に対して自ら代わって船荷証券に表章される契約を締結する権限を与えたものと解される」と認定している。

右「定期傭船契約」は英米法下の定期傭船契約につき著述したものであり、一九九頁以下の右認定の根拠となった「船荷証券(B/L)の署名」の項に於て明確に「コモンローの下で」と前置きされているものであるから、英米法を採らない我が国海商法の解釈根拠とするのは全くの誤りと言うべきであり、又右のごとき解釈は我が国の法令に違反するものである。

即ち、既述の通り、商法上、船主とは、船舶を所有し、海上運送企業を営むものを指し、単に船舶を所有するだけのものを意味するものではない。定期傭船契約が締結された場合は、定期傭船者が海上運送企業主体となるものであり、船主は単なる船舶所有者に止まるに過ぎないものである事をもって、商法第七〇四条一項の準用の基礎となすべきものであり、従って、船主は定期傭船に出した船舶を目的として、更に運送契約を締結する権限をもたない。

尚、この点につき付言すると、原審の認定は、本件定期傭船契約の準拠法が英国法乃至米国法である事を前提として成り立つものであるが、本件定期傭船契約には準拠法の指定はなく、従って、本件定期傭船契約の解釈をするに際して準拠法を認定しない儘英米法の解釈論をもち込むのは審理不尽の違法はあるものと言うべく、破棄を免れない。即ち、本件定期傭船契約は一方当事者を、日本法人とし、他方当事者を日本国民が実質的に所有するパナマ法人間で成立したものであり、仲裁場所については、東京の日本海運集会所が指定されているものであるから、当事者が日本法を本件定期傭船契約の準拠法とする旨黙示の合意をしていた事も十分推認されうる事案であるからである。

2 船長の船荷証券発行権

(イ) 商法第七一三条一項適用の誤謬

原審判決は、商法第七一三条一項に規定する船長の包括的な代理権を根拠にして、定期傭船契約が存在する場合にも船長は船主のために船荷証券を発行し得る旨説示するが、右は判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背を構成するものであり破棄を免れない。

船長が船長たることに基づいて有する代理権の存否及び範囲については、本件「ジャスミン号」の旗国法たるパナマ法により判断すべきものである事は既述の通りであり、又、商法第七一三条一項に言う様な包括的代理関係は、定期傭船者と船長との間に認められるものである事も既述の通りであるが、いずれにしても、商法第七一三条一項を根拠にして船長の船荷証券発行権を論ずるのは左記の理由により明白な法令適用の誤りを構成するものである。

即ち、船長の船荷証券発行権については、商法は第七六七条で別途規定しており、同条で法定された権限であるから、仮りに商法に依拠して船長の船荷証券発行権を論ずるのであれば、本来商法第七一三条一項ではなく、同第七六七条の問題として取扱われるべきものである。

しかし、商法第七六七条は、「船主船荷証券主義」をとる商法下においてのみ妥当し、本件の如く国際海上物品運送法が適用される場合に同条に依拠して船長の船荷証券発行権を論ずるのは、右同様明白な誤りである。

即ち、国際海上物品運送法は商法の採る「船主船荷証券主義」を排して、同法第六条一項及び第七条一項に於て「船長は運送人のために船荷証券を発行する」旨を定めるとともに、同法第二〇条により、「船主船荷証券主義」を明定した商法第七六七条の適用を排除して国際海上物品運送法の適用のある国際海上運送については「運送人船荷証券主義」の立場をとることを宣明している。従って、国際海上物品運送に於ては、船長は同法第六条一項及び第七条一項に法定された権限として「運送人」の代理人たる地位に於て「運送人」のために船荷証券を発行するものである。

船長が船主のために船荷証券を発行することがあるとすれば、それは船主が同時に運送人である場合に限られるものである。従って、「運送人」という中間概念なくしては、船長の船荷証券発行権は考えられない訳であり、第七一三条一項の一般的代理権の規定に基づき船長の船荷証券発行権を論ずるのは判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背というべきである。

更に、この点につき付言すれば、国際海上物品運送法は、第二条二項に於て、「この法律において『運送人』とは、前条の運送をする船舶所有者、船舶賃借人及び傭船者を言う」と規定されており、前述の通り定期傭船契約に於ては荷主と運送契約を締結して運送を行なうのは定期傭船者であるから、運送人は定期傭船者であり従って船長は運送人たる定期傭船者を代理して船荷証券を発行するものであると言うのが本件に於ける正しい法律構成と言うべきである。

(ロ) 商法第七五九条に規定する「再運送」の規定の適用排除

右(イ)に於て述べた通り、船長は「運送人」のために船荷証券を発行するものであるから、原審の認定のごとく船荷証券が「船長のために」の記載を付して発行された事を根拠として、同船荷証券が船主のために発されたものであるとする論理的必然性は全くない。

原審の認定は、国際海上物品運送法が第二〇条に於て再運送に関する商法第七五九条の適用を排除している趣旨に反する。

再運送とは船舶所有者がその船舶を運送契約たる傭船契約(商法第七三七条)を締結して傭船に出した場合に、傭船者が更に第三者と運送契約を締結する様な場合を指し、商法第七五九条は、かかる場合、運送契約の履行が船長の職務に属する範囲に於て船舶所有者のみがその第三者に対して責を負う旨規定している。

従って、商法が国際海上運送に適用された時代には、荷送人たる第三者は運送中に生じた貨物の損害につき運送契約を締結した相手方である傭船者を訴える事が出来ず、直接船舶所有者を訴えなければならない関係にあった。

ところで、右の第三者たる荷送人は相手方たる傭船者の海上運送業者としての信用を基礎として運送契約を締結するのが常であるにも拘らず、傭船者を訴える事が出来ないとする事は、荷主の保護に欠けるものであるとして、学者、実務家からつとに批判されてきたものである。従って、国際海上物品運送法は、商法のかかる不備を是正するため、国際海上物品運送につき、商法第七五九条の適用を排除することにしたものである。

「船長のために」の記載乃至ディマイズ・クローズを根拠にして、本件船荷証券上船主が、運送人であるとする認定は、明示的に法が排した再運送の規定を復活させるものであるという外ない。

尚、原審は、既述の通り、乙第二九号証を根拠として、「船主は、傭船者やその代理人に対して自ら代って船荷証券に表章される契約を締結する権限を与えたものと解される」と認定して、あたかも、被上告人エビス・マリナと本件荷送人との間に運送契約が締結されたものであり、従って本件は、再運送の場合と異なる旨を認定したような口吻ではあるが、船主が運送契約を締結しえないことは既述のとおりであるし、又被控訴人関汽外航が船主エビス・マリナを代理して運送契約を締結したという証拠はどこにもない。かえって、被上告人関汽外航が運賃を収受する等これに反する証拠が存する本件に於て、原審の如き認定を敢えて行なうとすれば、法的擬制という以外になく、それは、即ち、再運送の規定の復活を意味するものと言うべきである。

(ハ) 船積代理店ペーター・クレーマーの本件に於ける立場

上告人らの一貫した主張は、運送人船荷証券主義をとる我が国国際海上物品運送法の下に於ては荷主との間で運送を引き受けた者が運送人であり、かかる運送人が船荷証券を発行しうる者であり、船荷証券上の運送人となると言う事である。かかる主張は、前述の通り国際海上物品運送法第二条二項、同第六条一項並びに第七条一項の論理的な帰結である。

この点に関連し、名義上の航海傭船者である船積代理店ペーター・クレーマーの立場が問題となる。しかし、本件第一審における被上告人らの準備書面(七)に於て被上告人らは、「例えば航海傭船者(その実質は荷主の依頼を受けた仲介者)であるペーター・クレーマー」と述べて、ペーター・クレーマーが、傭船契約締結の仲介を行なう、傭船ブローカーである事を自認していることから、ペーター・クレーマーの本件に於ける立場については裁判所に於いても十分理解されているものと思料して十分な言及をしてこなかった。

ところで、本件に於いては、被上告人船主エビス・マリナー(定期傭船契約)―被上告人関汽外航―(航海傭船契約)―船積代理店ペーター・クレーマーと形式的に傭船契約が連続しており、この関係だけを見ると、本件荷送人との間で運送を引き受けたのは船積代理店ペーター・クレーマーであり、従って、国際海上物品運送法の原則によれば、ペーター・クレーマーこそ運送人たるべきであり、上告人らの主張を徹底すれば、船荷証券はペーター・クレーマーが発行すべきで、本件船荷証券上運送人は被上告人関汽外航であったとする上告人らの主張はこの点を没却した首尾一貫性を欠くものであるとの判断もありうるので、この点につき付言する。

本件のごとく、一定の航路を運行しない不定期船を対象とする不定期船市場は、利用しうる船腹を有する船主と、運送を必要とする貨物を有する荷主とブローカーたる海運仲立人によって構成されており、傭船契約の締結に際しては荷主側である傭船者から海運仲立人を通じて引き合いを出し、船主側から海運仲立人を通じて申出を出すことから始まり、双方条件につき海運仲立人を通じて交渉し、合意に達するとフィクスチャー・ノート(成約覚書)と称する書面を作成してこれを交換したうえで、海運仲立人が同書面に基づき傭船契約書を作成して自らこれに署名して正式な傭船契約の締結に至るものである。

ペーター・クレーマーは被上告人らが第一審以来自認している様に右に言う海運仲立人(ブローカー)に該当するものであり、従って、ぺーター・クレーマーの名で傭船契約が締結されているからと言って、ぺーター・クレーマーが国際海上物品運送法第二条二項に規定する「運送人」たる傭船者という事は出来ない。

即ち、ペーター・クレーマーは本件荷主を本人として非顕名の形式で本件航海傭船契約を締結したものであり、従って本件航海傭船契約は被上告人関汽外航と本件荷主との間に締結されたものと言うべく、ペーター・クレーマーは、国際海上物品運送法第二条二項にいう運送人たりえず、船荷証券を発行する関係になかったものである。

3 「運送人の氏名又は商号」の記載

我国国際海上物品運送法は、第七条一項六号に於て船荷証券の必要的記載事項として「運送人の氏名又は商号」の記載を要求している。同号を全く無視してなされた原審判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背を構成する違法なものと言うべく破棄を免れない。

原審判決は本件船荷証券の表面上部に「KANSAI STEAMSHIP CO., LTD(KANKI GAIKO KAISHA)BILL OF LADING」(関西汽船株式会社(関汽外航会社)の船荷証券)の表示がある事を認定しながら、「同船荷証券の署名欄に『For the Master』の記載があって」(当該認定が経験則に反する違法なものであることは後述のとおりである)、裏面「約款にディマイズ・クローズが記載されていること等本件船荷証券上にはそれで表章される運送人を固有かつ明確に特定することができる事項があることからすれば」、「本件船荷証券上部の右表示は、本件船荷証券の用紙が同被控訴人の専用用紙であることを示すか、荷主等に対して連絡先を示すか、せいぜい同被控訴人が定期傭船者などとして本件船荷証券で表章される運送人との傭船契約に何らかの形で関与していることを示す以上の意味を持つものではないと見るべきである」旨述べている。

しかし、右認定は、国際海上物品運送法第七条一項の適用を誤った違法な解釈としか言えない。

ところで本件船荷証券上部の記載が「関西汽船株式会社」と「関汽外航株式会社」との二社の商号を掲記してなされているのは奇妙であるが、被上告人関汽外航が関西汽船株式会社の外航部門を独立させて別会社とされた経緯から考えると、無名の関汽外航の表示だけでは運送人としての信用力に欠けるものと考え、その信用力を増す為に関西汽船株式会社の名称を冠したものと考えられる。このことからしても、同記載は本件船荷証券に表章される運送人を固有かつ明確に表示するものとして認識されていることを余すところなく示すものと言える。即ち、単なる専用用紙であることを示すに過ぎないのであれば、関汽外航の商号を示すだけで十分の筈である。

(イ) 「船長のために」の記載

国際海上物品運送法第七条一項は、「船荷証券には、次の事項を記載し、運送人、船長、又は運送人の代理人が署名し、又は記名押印しなければならない」と規定し、同項第六号に於て「運送人の氏名又は商号」を船荷証券の必要的記載事項としている。従って、船長自らが船荷証券を発行するとすれば、船長は「運送人の氏名又は商号」を記載した上で自己の署名をして船荷証券を発行することが求められているのであり、文理上から言っても船長の署名と「運送人の氏名又は商号」の記載は相互に排斥しあう関係にない事は明白である。従って、『船長のために』の記載は、船長を代理して船荷証券に署名したという以上のことを意味するものではないのであるから、同条の文理解釈からして『船長のために』の記載を根拠として「KANSAI STEAM-SHIP CO., LTD(KANKI GAIKO KAISHA)BILL OF LADING」(関西汽船株式会社(関汽外航)の船荷証券)の記載が運送人の表示とならないと解釈する根拠とならないことは明白である。

原審の右認定の根拠となる証拠が他に存在しないところからみると、右認定は鴻意見書(一二頁)に依拠しているものと解されるところ、同意見書は飽く迄英国の判例上船荷証券の上部の表示は重視されていないと述べているに過ぎない。

ところで、英国の国際海上物品運送法上及びへーグ・ルール(一九二四年八月二五日にブラッセルで署名された船荷証券に関するある規則の統一のための国際条約)上も船荷証券上に運送人の氏名を表示することは要求されていないところ、我国の国際海上物品運送法は一歩を進めて運送人船荷証券主義を貫徹する趣旨のもとに同法第七条一項六号において「運送人の氏名又は商号」の表示を要求したものである。その趣旨とするところは既述の再運送の場合に於て、船荷証券上に運送人の氏名を明示しておかないと、船長が船荷証券を作成した場合に運送人が船主であるのか傭船者であるのか混乱する可能性があり、放置すれば、国際海上物品運送法が商法の再運送の適用を排除した趣旨が貫徹できなくなるとの危惧がなされたからに外ならない。従って、法律上かかる表示を要求されない英国の海運実務上、「船荷証券上部の表示は、主として荷送人や荷受人に連絡の窓口を示す便宜を与える趣旨の表示以上のものではないため、積地代理店のようなおよそ運送人とは考えられない者の名称が表示されること」がありうるとしても、日本法を準拠法とする本件船荷証券の下において、英法上の解釈を当てはめようとするのは、全くの誤りという他ない。

即ち、運送人の特定は、船荷証券の記載全体から決定されるべきものとする原審の立場を採れば、第一義的には船荷証券上の運送人の表示と解される表示から運送人の特定がなされるべきであり、我国国際海上物品運送法が「運送人の氏名又は商号」の記載を要求していることに鑑みれば、船荷証券上になされた氏名又は商号の記載はこれをもって運送人の表示であると解釈するのが当然の事理といえる。従って本件船荷証券上運送人と表示されていたのは被上告人関汽外航のみと解する他はない。

更に、船荷証券上の運送人の表示とは離れて、実体面から本件貨物の運送に際し、誰が運送人として行為したかを考察するに、運送人として行為したのが被上告人関汽外航以外にないことも明らかである。

即ち、本船に対し、シレボン寄港を命じた被上告人関汽外航の発行した航海指示書(甲第四八号証)から明らかな如く、本件貨物のシレボンから仁仙迄の運送を「成約」したのは被上告人関汽外航であり、その旨P. T.PFRUSAN PELAYAN宛にテレックスで送信しているのである(尚、甲第一号証の一の一乃至六の左下部のスタンプより判明するが如く、前記はP.T.PERUSAN PELAYANは被上告人関汽外航の代理店として本件船荷証券を発行した船舶代理店カリマタに他ならない)。そして本件船荷証券上には、ペーター・クレーマーが「船長・船主のために」付記して運賃受領を記載しているが、後述する様に運賃を受領したのは、これも被上告人関汽外航である。

以上述べたことから明らかな如く、本件貨物に際し、運送人として行為したの被上告人関汽外航のみである。この事実と本件船荷証券上に表示された運送人が前述の如く、これまた被上告人関汽外航であることを合せて考えると、本件に於ける運送人を船主であると判断した原審判決は国際海上物品運送第七条一項の解釈を誤ったものと断ぜざるを得ない。

(ロ) 「ディマイズ・クローズ」の違法性

原審判決は、「本件のディマイズ・クローズのように運送人を船主に限定する約款は、船荷証券上の運送人を不明確ならしめるものではなく、運送人の責任に制限を加えて、国際海上物品運送法一五条一項に揚げる同法の規定の効力を妨げるものでもないから、同法一五条の特約禁止に触れるものではない」旨判示している。しかし、右認定は、ディマイズ・クローズが運送人を「船主」又は「裸傭船者」と選択的に指定しているものである事を故意に無視したものであるとともに、かかる解釈は、我が国国際海上物品運送を理解しない全くの誤りであるというべきであり、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背を構成する違法なものであり破棄を免れない。

右判示は鴻意見書に依拠しているものと解されるところ、鴻意見書は英国法上同クローズが有効と解されていることを唯一の根拠とするものである。然し乍ら、英国法上同クローズが有効とされてきたのは同国の船主責任制限法が定期傭船者に適用されなかった為に船主はその責任を限定しうるにも拘らず、実質的運送人たる定期傭船者は無限責任を負担せざるをえない結果となり、定期傭船者が船主に比して極めて不利益となるという立法上の不備を回避するため、ぎりぎりの利益衡量の下にその効力を認められたものであり、英国に於ても一九五八年英国商船法の改正により定期傭船者も責任制限をすることが出来る様になり、ディマイズ・クローズもその存在理由を失ったものであると一般に認められている。

この点、同教授が監修された「英米商事法辞典」(二三三頁)にも右と全く同様の記述がある。但し、同国の法制が判例法であることにより同クローズの有効性が同国に於いては依然として維持されているだけの事であり、原審に於て再三陳述したごとく世界の他の国では同クローズは無効と解されている。

我国に於いては、船主たると定期傭船者たるとに拘らず、運送人たる者は、国際海上物品運送第一三条一項による責任制限が認められるものであり、又同条に基づく責任額の総額が巨大となる場合は、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律により、船主及び定期傭船者は等しく責任制限の利益を享受し得ることとなっているのであるから、英国法の如き利益衡量の問題は生起しない。

ところで、荷主に不利益な特約を禁ずる国際海上物品運送第一五条は、同法の母体となったヘーグ・ルール(一九二四年八月二五日にブラッセルで署名された船荷証券に関するとある規則の統一のための国際条約)上最重要とされた立法目的を表現している規定であり、従って、我が国国際海上物品運送法の下に於いても最も重要な規定と考えられている。

即ち、ヘーグ・ルールが締結された主要な理由は、一九世紀の後半以来、運送人が免責約款を濫用し、船主側の利益を不当に害するようになり、また第三者たる船荷証券所持人の証券上の権利内容を不明確にし、証券の流通力を害することとなったために、これらの積荷関係者、ことに船荷証券所持人を保護して船荷証券の流通を円滑にする必要があったためであるものとされている。従って、第一五条により明文をもって指定された条項に反する特約に限らず、実質について判断し、脱法的な契約と考えられる場合には、同条により明文をもって禁止された特約と同様に無効と解すべきであり、又、一般法の原則、特に民法第九〇条の適用があるのであって、同条違反か否かによって決すべき場合もあるとされている。それ故、本件のディマイズ・クローズが有効であるか否かについてはかかる視点から厳格に精査されるべき問題である。

(1) 国際海上物品運送法第三条一項及び第一三条一項

既述した如く、我が国国際海上運送法は、同第二条二項に規定する「運送人」を中心概念として立法されている。同法第三条一項は運送人たる者は「運送品の滅失、損傷又は延着」につき損害賠償の責を負うものであると規定し同時に、同第一三条一項に於いてかかる場合の運送人の責任につき「一包又は一単位につき十万円を限度とする」と規定したうえで、同第一五条に於て、これらの規定に反する特約で、「荷送人、荷受人又は船荷証券所持人に不利益なものは無効とする」と規定している。

従って、同法第二条二項により、運送人となる者は第三条一項に基づき第一三条一項の限度で損害賠償義務を負担しているものであるから、運送人たるものが、自己以外の者に運送人としての責任を転嫁する事は、同法第三条一項及び同第一三条一項に反する特約となるものである。

原審判決の論旨は、被上告人等が主張している様に、ディマイズ・クローズは、責任主体を特定するだけで、責任そのものを否定するものではないから、同法第一五条一項に違反するものではないという事にあるものと推測される。

しかし、かかる解釈は、我が国国際海上物品運送法が運送人船荷証券主義を貫徹するためにヘーグ・ルールより更に一歩を進め、第七条一項六号に於て、船荷証券の必要記載事項として「運送人の氏名又は商号」の記載を要求した趣旨を没却したものと言うべきである。

即ち、我が国国際海上物品運送法が「運送人の氏名又は商号」を必要的記載事項としたのは、商法下に於ける再運送の規定が荷主に多大な不利益を強いる結果となったことに鑑み、船荷証券上に「運送人の氏名又は商号」を記載させて、船荷証券上一義的に運送人を特定する道を拓き、これによって船荷証券所持人の信頼を保護し船荷証券流通の円滑をはかる事を企図したものである。

従って、船荷証券上運送人として特定しうるものが、運送人としての責任を否定する道を認めることは、明かに国際海上物品運送法第一五条一項違反を構成するものと言うべきであるとともに、又、チャターバッグの例が典型的に示すように、一般に便宜置籍船を運航して海運企業を営む定期傭船が自己を運送人として表示しつつ、便宜置籍船船主にその責任を転嫁しようとする本件のごときディマイズ・クローズは公序良俗に反する違法なものであり民法九〇条に違反して無効とされるべきものであり破棄を免れない。

(2) 本件ディマイズ・クローズの内容

本件船荷証券に挿入されているディマイス・クローズは、左記の如き内容のものである。

「本船が関汽外航により所有または裸傭船されていない場合には、これに反する記載にかからず、本件船荷証券は関汽外船の代理行為に基づき、本船船主または裸傭船者を契約当事者としてこの者との契約としてのみ効力を有し、関汽外航は、本船船主ないし裸傭船者の代理人としてのみ行為し、上記契約に関する責任を負わない。」

右規定の趣旨は、恐らく被上告人関汽外航が「本船を所有又は裸傭船している場合には」被上告人関汽外航が船荷証券上の運送人であるが、「本船が関汽外航により所有または裸傭船されていない場合には」、本船の船主又は裸傭船者が船荷証券上の運送人となるという事である。

しかし、右引用から明らかな如く本件ディマイズ・クローズは、「関汽外航」が本船を所有又は裸傭船している場合に関汽外船自身が運送人となる旨を直接規定していない。このことは、「これに反する記載に係わらず」の文言が示す様に、本件船荷証券の他の箇所に於て本則として「関汽外船」が運送人なる物と表示されている事を示唆するものである。

本件船荷証券の表面・裏面を通じて被控訴人関汽外航の名称が表示されているのは、右に言及したディマイズ・クローズと本件船荷証券表面右側上部の「KANSAI STEAMAHIP CO.,LTD.(KANKI GAIKO KAISHA)BIL OF LADING」(関西汽船株式会社(関汽外航会社)の船荷証券)の記載だけしかない。

従って、ディマイズ・クローズの「これに反する記載に係わらず」とは、船荷証券表面右上の右記載を示すものであり、従って、本件ディマイズ・クローズの意味するところは、本件船荷証券表面に関汽外航を運送人として表示する記載があるが、これにかかわらず、関汽外航が本船を所有又は裸傭船していない場合は、本船の船主又は裸傭船者が運送人となるということに外ならない。

この様に解釈しなければ、被上告人関汽外航が所有又は裸傭船する船舶につき本件船荷証券を発行した場合、運送人を特定しえない船荷証券となってしまうという不合理な帰結しかありえないことになる。

このことは、とりもなおさず船荷証券右側上部の記載が「運送人の氏名又は商号」を船荷証券の必要的記載事項とした国際海上物品運送法第七条一項六号と合致するものであるとの認識がある事を示すものである。

(3) 原審の解釈によっては運送人を一義的に確定しえない。

本件ディマイズ・クローズによれば、被上告人関汽外航が本件船を所有又は裸傭船していない場合、本船の船主又は裸傭船者が運送人となる。しかし、上告人らが再三主張しているが如く、船主―裸傭船者―定期傭船者と傭船契約が連鎖して連なる場合、運送人は裸傭船者となることになるが、船荷証券上かかる契約関係の存在を知るすべはない。従って、船荷証券所持人は、船荷証券上から運送人が誰であるか一義的に確定することが出来ず、不安定な地位におかれる事になり証券の流通を訴外する結果となるものである。

(4) 総括

原審判決は、裏面「約款にディマイズ・クローズが記載されている事等本件船荷証券上にはそれで表章される運送人を固有かつ明確に特定することができる事項がある」と論断する。

これは、被上告人らの主張を鵜呑みにしたものとしか考えられない。本件に於て裸傭船契約が存在しないから運送人は船主であるとして一義的に確定しうるという趣旨であれば、それは証券外の事項を考慮したうえでの事であり、船荷証券上の記載から判断しうる事柄ではない。これを動的に見れば、例え定期傭船契約の存在が判明しても、裸傭船契約の不存在が判明するまでは果たして船主が運送人であるか否かは特定しえない事を意味するものであり、かかる不利益を保護されるべき筈の船荷証券所持人が負担すべき理由はない。

被上告人らは、自説をかえりみず、上告人らの主張は、証券外の事柄である定期傭船契約の法的性質によって船荷証券上の運送人を確定しようとするものであり、かかる主張は、文言証券たる船荷証券の性質に反するものであると主張し、原審もかかる主張に首肯したものの様であるが、これは被上告人らが自説を押し通すために故意に事実を曲解しているものであることに気付かず被上告人らの主張を鵜呑みにした結果というべきである。

上告人らの主張は、単純明快な事理である。即ち、船荷証券上部の表示は国際海上物品運送法第七条一項六号に言う「運送人の氏名又は商号」の記載に該当するものであるから、本件船荷証券上運送人は被上告人関汽外航と認定されるべきであり、かかる記載にも拘らず、ディマイズ・クローズの適用によって被上告人エビス・マリナを本件船荷証券上の運送人と認定することは、正に証券外の事項たる傭船契約によって運送人を判断しなければ運送人を特定しえないものとすることであり、船荷証券の性質に反するとともに、定期傭船契約の法的性質にも反すると述べているに過ぎない。従がって上告人らは、原審判決が曲解している様に証券外の事実を以て証券上の運送人を特定しようとしているのではない。既述の通り、かかる事を行なわんとしているのは、被上告人らであり、被上告人らの主張を鵜呑みにした原審判決である。

既述の通り、本件船荷証券上部の表示が「関西汽船株式会社(関汽外航)の船荷証券」という奇妙な表示となっているのは、関汽外航だけでは運送人としての信用力を欠くことを慮て別法人であるにも拘らずその信用力を利用する為に関西汽船株式会社の社名を冠したものである。

自己を運送人として表示する事にここまで注意を払い荷主がかかる表示に信頼して運送契約を締結する様仕向けながら、一度事故が発生すれば、船荷証券裏面の虫眼鏡でようやく読める様な条項を根拠として責任を否定しようとする事など許されるべきではない。

因みに甲第八七号証の一は、我国の最大手の船会社である日本郵船株式会社の船荷証券書式であるが、同船荷証券にもディマイズ・クローズが含まれている。公知の如く、日本郵船、商船三井その他我が国で一流船会社と言えるところでも、海運不況に対処する為序説で述べたチャーター・バック形式等を利用して多数の便宜置籍を運航しているものであるが、荷主が日本郵船あるいは商船三井に運送を依頼するのは、これらの船社が発行した船荷証券に基づき、日本郵船あるいは商船三井に対して損害賠償責任の追及が出来るものと信頼しているからである。ディマイズ・クローズが有効であるとすれば、これら船社は、海上運送企業として利益をえながら、損害の発生した場合は、ペーパー・カンパニーの責任であるとして責任逃れをするみちをひらくという非常識な結果を招来することになる。

英法に於てディマイズ・クローズの有効性を認めた趣旨は、既述の通り、定期傭船者が無限責任を負担することになる不利益からこれを保護しようとする趣旨であったものであるが、今日に於てディマイズ・クローズの効力を認める事は、荷主の不利益の下に定期傭船者の不当な利益を保護するという本末転倒の結果を招来することになることは、右の点からみて明らかである。

思うに、我が国に於てディマイズ・クローズを有効とする論者があるとすれば、それは、判例が定期傭船契約を「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」として規律している事に対する過剰反応とも言うべきものである。即ち、定期傭船契約を混合契約であるとした事から、商法第七〇四条一項の準用を招来し、この結果、定期傭船者が船舶衝突等の不法行為責任まで負担するに至っているものであるが、かかる論者の主張するところは定期傭船者が不法行為責任まで負担するのは、不合理であり、英米法に従がって定期傭船契約を運送契約であるとすれば、係る不合理を回避する事ができるという点にある。英国を除く世界の海運界に於て、ディマイズ・クローズが無効視されている中でなお敢えてディマイズ・クローズが有効であるという時代遅れの主張を強弁するのは、かかる主張によって定期傭船契約は運送契約であるとする自説を一歩進めうるものと考えているからに外ならない。

しかし、これは角を矯めて牛を殺すがごとき議論と言う外ない。

即ち、英米法の如く定期傭船契約を運送契約であるとする議論は、嘗て船主自体が海運企業としての実質を備えその余剰船舶を海運企業に対し定期傭船していた様な場合には合理性のある事であったかも知れない。

本件の事案が示す様に、現今の海運の実態を見れば、運航経費節減のため便宜置籍船が跋扈し、その船主といえば名ばかりで、海運企業の実態は全く備えていないものであり、貨物を集め運送契約を締結し、海運企業の主体として活動しているのは、定期傭船者であり、船主ではない。従って、我が国判例が六〇有余年以上も前に定期傭船契約は「船舶賃貸借契約と労務供給契約の混合契約」であるとして定期傭船者を海上運送の企業主体として把握したのは正に卓見というべきであり、便宜置籍船が横行する今日益々その重要性を増しているものと言うべきである。

現代に於ける法解釈の大原則が「利益を得る者が責任を負担すべし」との報償責任に帰結すべきものであれば、正に定期傭船者こそかかる者として責任を負担すべきであり、この事は又我が国国際海上物品法が船荷証券に「運送人の氏名又は商号」を表示すべき事を求めた点に示されている。従って、法に基づき自己を運送人として表示しながら、付合契約とも言うべき船荷証券の裏面契約で自己の運送人としての責任を排除するが如き特約を規定する事が認められよう筈はない。

四 事実認定―経験則違反

1 「船長のために」の記載の認定

原審が本件船荷証券に「船長のために」の記載があると認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな経験則違反であり破棄を免れない。

原審は、「本件船荷証券は、外航船舶の船荷証券であって、文言証券ではない」としつつも「船荷証券で表章される運送人は、原則として船荷証券上の記載及びその解釈によって確定されなければならない」と説示したうえで、貼付けされた収入印紙の下に隠れ、外観上存在しない「MASTER」の記載が存在する旨認定している。かかる認定の理由として「本件船荷証券に於て記載を抹消する場合には、記載の上に線を引いてその傍らに押印し、署名をする手法が採られており」右の記載についてはかかることが行われておらず、「右記載のうえにたまたまちようふした印紙が掛かっただけに過ぎない」と説示し、従って、同記載が抹消された訳ではないと結論づけている。外観上存在しない記載を存在するものと認定すること自体黒を白と言うに等しい暴論と言うべきであり、右認定は重大な経験則違反であり違法な認定と言うべきである。即ち、

(イ) 原審判決は、本件船荷証券が一貫して同一当事者の手によって作成されたものであり記載の抹消についても同一当事者がおこなったものであると認定しているが如くである。しかし、本件船荷証券はシレボン港に於いて被上告人関汽外航の代理店カリマタが必要な記載をなし、署名部分に収入印紙を貼付し、同収入印紙の上から署名押印のうえ発行したものであり、次項で詳述するように、同船荷証券上で抹消の行なわれた部分は、カリマタが同船荷証券発行に際して行なった「運賃到着地払」という記載であり、この抹消は、カリマタが船荷証券を発行した後、ペーター・クレーマー船積代理店が行なったものである。

従って、ペーター・クレーマーが後日かかる抹消方法をとったからと言って、カリマタが船荷証券発行に際して同船荷証券上の記載の抹消につき当然ペーター・クレーマーと同一の手法をとった筈であるというのは時間的に不可能な推論というべきである。他方、ペーター・クレーマーが本件船荷証券を入手した段階では、すでに記載は外観上存在していなかったのであるから、存在しない記載について抹消のために線を引いてその傍らに押印するという事も考えられない。従って、かかる認定は重大な経験則違反というべきである。いったい、外観上存在しない記載について、記載のうえに線を引いてその傍らに押印、署名するなどという事が考えられる事であろうか。

(ロ) 原審判決は、収入印紙の貼付が恰も偶然に行なわれた如く説示しているものであるが、本件の船荷証券は甲一号証の一から六として提出されている様に六通もあるのであり、一見して判る様にいずれの船荷証券においても収入印紙は正確に同一箇所に貼付されており、又収入印紙の上から署名されカリマタの印章が押印されていることがわかる。この様に、収入印紙の貼付及び署名押印はいずれも理路一貫して整然と行なわれているものであり、この様な事実を前提とすれば、「記載のうえにたまたまちようふした印紙が掛かっただけに過ぎない」との認定は、重大な経験則違反というべきである。

(ハ) 更にこの点に付言すれば、原審の認定は重大な論理矛盾を含むものであり、理由齟齬違法がある。即ち、原審は、本件船荷証券において、運送人が被上告人エビス・マリナであると認定する重要な根拠として「船長のために」の記載と「ディマイズ・クローズ」の二つを掲記している。

しかし、署名欄の記載は必ずしも「MASTER」に限られるものではなく、「CARRIER」(運送人)あるいは「CHARTERER」(傭船者)の場合もありうるのであり、収入印紙で隠れた部分が「MASTER」であると一概に断定することは出来ない筈である。

しかるに、原審判決は見えないものがあたかも見えるが如く、収入印紙で隠された部分に「MASTER」(船長)の記載があるものと認定し、これを重要な根拠の一つとして、本件船荷証券上被上告人エビス・マリナが運送人であると認定している。

してみると、原審は「MASTER」の記載に、極めて重要な意味を認めたものと言うべきであるが、第一審判決が言うように、「海運の実務に通じない一般人であればともかく、いやしくも船荷証券を取得することにより取引に入る者が、船荷証券上の運送人が船主であることを誤認するとは考え難い」とすれば、被上告人関汽外航の代理人たるカリマタが「MASTER」の記載の重要性に気が付かなかったものとは到底想像し難いところであり、たまたまこの上に印紙を貼付する事など考えることすらできない筈である。

この事を前提として、本件船荷証券六通全部に収入印紙が一貫して整然と貼付されている事から考えると、むしろカリマタは定期傭船者たる被上告人関汽外航が本件船荷証券上の運送人であることを単的に示すために、記載が見えないよう意図的に収入印紙を貼付したものであると認定するのが合理的であり、原審の認定はこの点において重大な論理矛盾を犯しているものである。

2 運賃は被上告人関汽外航が収受したものである。

第一審判決は、「本件船荷証券には、船主/船長を代理した船舶代理店カリマタが運賃を受領した旨の署名がある」旨認定し、証拠として甲一号証の1〜7を挙示しており(因みに、原審が訂正しているように本件船荷証券は六通であり、甲一号証の1〜7とするのは誤りである)、原審は右認定につき項目番号を変更するだけでこれを認容しているが、かかる認定は、判決に影響を及ぼすことの明らかな重大な経験則違反であり破棄を免れない。

原審は既述の通り本件船荷証券の抹消方法は、「記載の上に線を引いてその傍らに押印し、署名をする方法が採られており」と、極めて子細に本件船荷証券上の記載を観察しながら、抹消されたのが、「運賃到着地払」の記載であり、これに接着して「運賃支払済」のスタンプが押されペーター・クレーマーが署名・押印している事については、全く注意を払っていない。

カリマタが船荷証券に「運賃到着地払」と記載してこれを発行したのは、カリマタは、船荷証券発行に際して運賃を受領しなかったことを示す以外の意味はない。

更に、上告人らが原審に於て主張した様に、乙一〇号証として提出された傭船契約第四二条を見れば、「船荷証券には『運賃到着地払』と記載されるものとするが、船主の運賃受領に基づいて船主より発されるテレックスによる授権に従がい後日ハンブルグに於て「運賃支払済」と変更されるものとする」(同傭船契約に於ては一貫して被上告人関汽外航が船主として表示されいるから「船主」は被上告人を指す)とされ、支払先たるの銀行口座は「住友銀行八重洲支店東京 口座番号第二〇七九六三 名義関汽外航株式会社」と明記されているのであるから、運賃は被上告人関汽外航がこれを受領し、この確認に基づいてペーター・クレマーが「運賃受領済」の記載をしたものである事は、一点の疑問を差しはさむ余地のない程明白である。

一方では本件船荷証券を矯めつ眇め観察して見えないものを見えるという黒を白と言うに等しい理屈に腐心しながら、他方では、右の如き単純な事実関係を見過ごすと言うのは、極めて不公正な事実過定が行なわれたものと言う外ない。

五 採証法則違反

1 船長の代理行為

原審判決はジャスミン号の船長岡本吉生が被上告人エビス・マリナに雇用されていたと認定した上で、「岡本が義務上の指示を受けたり連絡したりする先は、愛知県にある同被控訴人の日本における事実上の営業所であった」と認定し、恰も、被上告人エビス・マリナが岡本船長を通じ積極的に海上運送に関与していた様に認定をしているが、右認定は重大な採証法則違反を構成するものであり破棄を免れない。

業務上の指示に関する認定の根拠として原審が挙示しているのは、岡本も証言調書の230〜236であるが、同部分を引用すると左記の通りである。

230 ここに何か連絡するときには、パナマに連絡するんですか。

これは、日本に代行と申しますか、まあパナマの船籍しておっても、実際ののオーナーは日本人という形になっておりますので、詳しいことは私は分かりません。

231 あなたにもわからない。

ええ、わかりません。私はあくまでもパナマということで、ただ連絡はここへしてくださいと。それはエビスというとこです。

232 どこにあるんですか。

松山だと思いました。

233 そこの、たとえば代表者の名前はどなたですか。

代表者というのはわかりませんが、いろいろ会社を持っておられますおで、よく内容はわかりませんが、一応事務連絡は、責任者はエビス・マサシさんという方です。

234 航海中、オペレーターから航海のいろいろ指示がありますね。それはどういう通信手段を使うんですか。

それは無線電報、または代理店経由のテレックス、またはファクシミリ、または電話ですね。

235 それで、本船からオペレーターに連絡する場合も同じような。

ええ、航海中であれば無線電報、または電話ですね。港に入ってあれば、代理店経由のテレックス、またはファクシミリ、または電話ですね。

236 航海中、積み荷関係の指示はオペレーターからあるわけですね。

そうです。

本件前証拠をみても、被上告人エビス・マリナの日本に於ける事実上の営業所などを認定するに足る証拠は存在しないのにも拘らず、原審は、右証言中のオペレーターと「エビスというところです」とがあたかも同一の存在であるかの如き虚構を作出して、これをもって被上告人エビス・マリナの日本に於ける事実上の営業所が存在したものであると認定を行なっている。

しかし、岡本船長の右証言だけからみても「エビス」とオペレーターは別の存在である事は十分に推認出来る筈であるが、岡本船長は、14に於て被上告認関汽外航が本件貨物積み取りの指示を出したものである旨供述し、更に次の様な証言を行なっている。

裁判長

350 オペレーターということばは、可能性としては複数に理解できることもあると思いますから、固有名詞を使ってください。

原告ら代理人

351 要するにシレボン港に行ってこの貨物を積むようにというあなたに対する指令が関汽外航からきたんですね、先ほどの話によるとね。

バンコクですね。バンコクでもらわなければ出航できませんから。

352 それは電信できたんですか。

本社からテレックスで、それから代理店を通じて私の方へきたという形ですね。

353 テレックスできたの。

テレックスです。

354 じゃ、その記録はあるわけね。

それは船にあるかどうかわかりませんが、当然本社のほうに控えがあると思いますが。

右の岡本証言によればオペレーターと指称されているのが、被上告認関汽外航を指すものである事は余すところなく明白であり、この事は、本件運送に関する「航海指示書」(甲第四八号証)が被上告認関汽外航から船長宛に発行されている事とも一致する。更に、岡本船長が被上告認関汽外航を指して「本社」と行っている点を見ると、同被上告人と岡本船長の間に何等かの従属関係があったことも推認される。

従って、岡本船長が業務上の指示を受けた連絡をしたりした先は、被上告人エビス・マリナではなく、被上告人関汽外航であった事は明らかである。

他方、被上告人エビス・マリナは、その送達場所と指定された住所が示す様にパナマに実体を有するものではなく、又日本に於ても海上運送企業として主体的活動をなす様な実体を全くもたなかったものである事は明らかであり、又、原審に於ける本船一等航海士の証言からも明らかな如く、本船は典型的な便宜置籍船で船長及びオフィサーは船長派遣会社(マンニング会社)たる啓愛海運に雇用され、その他のフイリピン人一般乗組員はフィリピンのマンニング会社に雇傭されていた。

右の事実関係から明らかな様に、被上告人エビス・マリナは、単なる船主に過ぎず、海上運送企業としての実体は全くなく、従って、船長が同被上告人を代理して運送契約を締結する様な実質的事実関係は全く存在していなかった事は明白である。

2 鴻意見書

原審判決は「船舶代理店カリマタが本件船荷証券に署名するに当りした船長のためにという表示は一般的に、船主が船荷証券で表章される運送契約の当事者本人(運送人)であることの表示であると理解されている」と判示し、第一審判決が採用した乙第一三号証に加え、乙第二二号証の鴻意見書を挙示している。

更に、原審判決は、「本件船荷証券上部の右表示(KANSAI STEAMSHIP COMPANY LTD BILL OF LAD-INGの表示を指す)は、本件船荷証券の用紙が同被控訴人の専用用紙であったことを示すか、荷主等に対して連絡先を示すか、せいぜい同被控訴人が定期傭船者等として本件船荷証券で表章される運送人との傭船契約に何らかの形で関与していることを示す以上の意味を持つものではない」と認定している。かかる認定についての証拠の表示はされていないが、乙第一三号証には、かかる認定をなすに足る記述はなく、他にかかる認定に足る証拠は存在しないものであるから、同認定も鴻意見書を採用して行なわれたものである事は明らかである。

本件控訴審記録から明らかな如く、上告人等は鴻意見書が提出された後、平成四年二月一七日付の準備書面(四)を以て同意見書に対する反論を為すと同時に、平成四年四月六日付にて鴻教授の証人申請を行った。然し乍ら、原審裁判所は、「鴻意見書は単なる参考資料として扱う」と述べて、鴻博士に対する上告人らの証人尋問申請を却下したものである。

ところで、鴻意見書は本件船荷証券上に「船長の為に」という表示が存在しているという誤った前提の下に作成されたものであるから、その証拠価値に重大な疑問がある事は自明であり、又原審の態度は参考資料として扱う程度にすぎないという事であるから他の証拠の評価等の参考とするのは格別、同意見書に基づいて直接事実認定を行なう事はないとの趣旨であると了解し、原審の訴訟指揮に対しあえて異議を述べなかった。然るに、右に述べた如く原審は鴻意見書に基づいて堂々と事実認定しているものであり、かかる原審の所為は故意に上告人らの訴訟活動の阻止を企図した違法なものと言うべきである。

いずれにしても、鴻意見書は、左記の通り同博士が自ら作成されたものとは信じられない程誤謬に満ちたものであり、とうてい証拠として措信するに足るものとは言えない。

(イ) 鴻意見書には、本件船荷証券の写しをその末尾に添付して、これを精査したものである事を前提としている。添付の船荷証券から明らかな様に、「MASTER」の記載は貼付された収入印紙に隠れて見えないものであるにも拘らず、この点に何ら言及することなく、「本件船荷証券の署名欄には、FOR THE MASTERと記載してなされた署名がある」(一一頁)と漫然と述べるだけである。この事は、明らかに鴻博士が本件船荷証券を精査することなく意見書を作成されたものである事を示している。

(ロ) 鴻博士が「上記の問題の解決は、端的に商法第七〇四条の趣旨に照らし定期傭船契約について適用の可否を検討すべきである」と述べられているところからみると、同博士は定期傭船契約には商法第七〇四条を適用すべきでないという立場である様に推測される。

しかし、判例の混合契約説は、同条の適用を認めるのであり、又同条の適用を肯定する石井照久博士の「企業賃貸説」は、正に判例の混合契約説を理論化したものであり、博士も認められる様に我が国の通説的立場を占めるものであるから、博士の主張は、博士の主張に過ぎず、我が国の海商法に関する客観的な鑑定意見書の体をなしていないものである。

更に、重大な点は、定期傭船契約の分析に関する方法論を述べ多くの論文等を引用して、あたかも引用論文が、被上告人らの主張と一致するかの様な印象を故意に作出していることである。しかし、これは明らかに事実に反する。

博士が、貴重な論文として幾度も引用されている小林教授の「定期傭船契約論」八六頁以下では次の様に述べられている。

「以上から明らかなように、わが国の学説は、定期傭船契約の法的性質をめぐって厳しい議論の対立が見られるが、現在最も有力で対立の核心をなしていると認められるのは、海運実務、戸田教授を中心とする①純粋運送契約の立場と、現在の我が国の通説である石井博士、谷川教授、小島教授、川又教授を中心とする②企業賃貸借説の立場である」

「両説の主要な相違点は、①説が、定期傭船契約を運送契約と捉え、定期傭船者の海上企業主体性を否定し、商法七〇四条の適用を認めたのに対し、②説は、定期傭船契約を企業(ないし海上企業の有機的組織単位)の賃貸借と捉え、定期傭船者の海上企業主体性を肯定し、商法七〇四条の類推適用を認める(ただし、谷川教授は、船舶賃貸借との間に重要な必須的属性において相当の懸隔があることを理由に、商法七〇四条の類推適用を否定される)点にある」(甲第五五号証の三)

と総括されている。

ところで、小林教授は戸田教授の説を下記のように総括して同教授も又定期傭船者の運送責任を肯定されているものである事を明らかにされている。

「そこで、戸田教授は定期傭船契約の外部関係については、(1)契約責任に関しては、外航船の場合、定期傭船者が再運送契約の相手方である荷送人に対し「運送人」として、その契約の履行に基づく一切の履行の責に任じ、船舶所有者が直接この者に対し責任を負うことなく、(2)不法行為行為責任に関しては、定期傭船契約が運送契約であることから、航海企業の主体である船舶所有者が損害賠償責任を負担することは当然であると解される」(小林前提五・七八頁、甲第五五号証の二)

従って、定期傭船契約を運送契約であるとする現代の学説の趣旨とするところは、判例及び企業賃貸借説が、海上運送という商行為的側面につき定期傭船者の責任を認める前提として、商法七〇四条の適用を認めた結果、法論理的に船舶衝突等の不法行為まで定期傭船者の責任であるとされるに至っている。しかし、定期傭船契約を運送契約であると解釈し、商法第七〇四条の適用を排したとしても、定期傭船者が商行為的側面につき責任を負うものであることは、肯定しうるものであるから、商法七〇四条の適用を排すべきであり、この事によって定期傭船者が船舶衝突等の不法行為責任を負うという不都合を回避しうるという事にある。

小林教授は、自身の到達した結論として次の様に述べておられる。

「〔1〕海上企業活動的側面

(1) 積荷損害  定期傭船者が第三者たる荷主と運送契約を締結した場合に、船長・船員の過失によって積荷が減少・毀損したときは、定期傭船者が運送人として荷主に対し債務不履行による損害賠償責任を負うことは明らかである。なぜなら、この場合には船長・船員を運送人の使用する者(国際海上物品運送法三条)として定期傭船者の履行補助者と解することに何ら問題はないからである。この点では、敢えて定期傭船契約の法的性質を船舶賃貸借と労務供給契約の混合契約と構成して商法七〇四条の適用を基礎づける必要性は全くない。ただ、わが国においても昭和三二年に国際海上物品運送法が制定される以前は、再運送契約に関する商法七五九条が外航船にも適用されたため、………商法七五九条の適用を排除する趣旨から定期傭船契約を船舶賃貸借であり運送契約ではないと構成することに意味がないわけではなかったが、現在では商法七五九条は外航船には適用されないことは明らかであるから(国際海上物品運送法二〇条)、この点に関し定期傭船契約を混合契約と解する必要はない」(一五八二〜一五八三頁)

「(2)  船荷証券 定期傭船者が船舶に積載された積荷につき船荷証券を発行する場合に、船主と定期傭船主者のいずれが船荷証券上の責任を負うかが問題であるが、我が国の現行法においては、少なくとも外航船については、商法七五九条の適用が排除され定期傭船者が運送人として船荷証券上の責任を負うこととされており、また内航船についても船商証券上の合意を根拠に同様の帰結を導きうるから、船主が船荷証券上の義務を負うことはない」(一五八三頁)(以上、甲第五五号証の五)

従って、原審が鴻意見書を検討するに際して、同意見書に引用されている学説につき、上告人らが提出した甲号証には目を通していれば、多数の引用文献にも拘らず、いずれも鴻意見書の結論に反するものである事は明白であった筈である。

(ハ) 更に、鴻博士は、日本の判例・学説には船荷証券の解釈を論じたものが乏しいとして、英・米法の解釈論を日本法を準拠とする船荷証券に直接適用される。

しかし、上告人等が控訴審に於て提出した、平成四年二月一七日付準備書面(四)で詳述した通り、定期傭船下で発行された船荷証券に関する昭和一〇年九月四日大審院判決があるのであり、又これに基づく小島教授の詳細な研究がある。

最も問題となるのは、船荷証券上部の表示につき、英国法上の解釈を無批判に受入れ、我が国国際海上物品運送法が第七条一項六号に於て、船荷証券上に「運送人の氏名又は商号」の記載を要求している事を完全に没却している点である。

既述のごとく、右の要件は、我が国国際海上物品運送法が条約に一歩を進めて認めたものであり、英国法にはない要件であるから、客観性を旨とすべき鑑定意見書であれば、英国法上の解釈論を採るにしても、同号を無視して英国法上の解釈論を採るべき根拠が提示されなくてはならない筈である。

この事は、同号の立法趣旨が「新たに『運送人の氏名又は商号』を記載事項に加えたのは、再運送において船長が船荷証券を作成した場合に、何人のために作成したかを明らかならしめるためである」という事であるから、「船長のために」の記載を根拠として本件船荷証券上の運送人を論断される鴻博士としては、同号に言及したうえで同号を無視するに充分な根拠を挙示しない限り、客観的な鑑定意見書足りえない事は明らかである。

以上は、鴻意見書の顕著な誤りを例示したにすぎない。同意見書を子細によめば、被告人らの主張をそのまま意見書として置き換えたにすぎないもので論理の一貫性を欠き、引用文献にいたっては、都合の良い部分を拾読みしたものに過ぎず、これらの事は、上告人らが提出した甲号証と比較すれば、一目瞭然と言えるに拘らず、あまつさえ、上告人等の反対尋問を却下したうえで、かかる意見書を盲信して事実認定をした原審判決は、採証上重大な誤りを犯した違法なものと言うべきである。

3 乙第一三号証「傭船契約の解説」

第一審判決は、乙第一三号証を根拠として、(イ)「船長のために」の記載の意味、(ロ)「ディマイズ・クローズ」の有効性、(ハ)「定期傭船契約が結ばれている場合でも、船長以下の船員を指揮監督する権限は、船長等を雇傭する船主に属する」並びに(二)本件船荷証券を同様に、定期傭船者の社名を付してはいるものの、証券の上で、運送人としての責任を負う者を船主に限定する船荷証券は、海運界において多数存在する」等本件に於いて要となる事実につき、乙第一三号を唯一の根拠として認定し、原審も鴻意見書を証拠として追加する他は、これらの諸点に関する第一審の判断を肯定している。

しかし、乙第一三号証には右(二)を認定するに足る記載はどこにもないし、(ハ)については、「一方、定期傭船者は、定期傭船契約の取決めに従って、その期間、船を占有し、自己の意図する運送業務を船長に行わしめるが、このDemise Clauseで、その運送業務の責任者は船長の雇主である裸傭船者か、船舶所有者ということが明示される」と述べ、(ハ)の認定とは、全く逆の事を述べている。

即ち、船舶を占有し、船長を指揮して運送業務を行なうのは定期傭船者であるが、その責任主体を裸傭船者か船主に限定するディマイズ・クローズによって、定期傭船者は責任主体とならないという趣旨である。

従って、(ハ)及び(ニ)に関する限り原審の認定は重大な採証法則違反を犯しているものというべきである。

いずれにしても、乙第一三号証は、単なる実務解説書にすぎず、ディマイズ・クローズの解説からも明らかな様に単に傭船契約もしくは船荷証券の各条の趣旨を解説するに止るものであり、かかる条項の有効・無効論に及ぶものでない事は明白である。恐らく尋ねられれば著者五十嵐重尾氏は、各条についての有効・無効の判断は裁判所等法律の専門家の行なう事であって、海運実務家たる氏の行なう事ではないと答えられるに決まっている筈の話である。

或る契約に事実として、或る条項が存在し、その条項の意図する事が何であるかという当事者の意思解釈の問題と、同条項が有効であるか無効であるかという法律論の問題とは、平面を異にする別個の問題である事は、法律家の初歩的常識であり、有効・無効を判断する事こそ、裁判所の職責というべき筈である。

従って、乙第一三号証を根拠にしてディマイズ・クローズの有効性を認定するのは、存在する契約条項は全て有効であると言うに等しく、裁判所の職責を放棄した判断であるとしか言いようのないものである。

更に付言すれば、上告人らは、甲第四〇号証として藤代和雄著「貿易運送の実務」(船荷証券の解説)を提出し、ディマイズ・クローズを無効であるとする実務家の見解も存する事を立証すると供に、テトレーの見解等多数の資料を提出している。

これら文献の証拠価値につき一言も言及する事なく、単なる実務解説書一冊を根拠に重要な事実認定を行なうと言う第一審及び控訴審の事実審理は余りにも粗雑と言うべく、とうてい公正な裁判を構成するものとは考えられない。

第二 <省略>

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